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大阪地方裁判所 昭和29年(ワ)5541号 判決 1960年9月06日

池田銀行

河内銀行

事実

原告は昭和二九年五月四日被告銀行に預け入れた普通預金一九六万円の債権を有するとして、右元金と、預け入れた昭和二九年五月四日の翌日から原告がその払戻を請求した日の前日である同年一〇月四日までの日歩六厘の利息ならびに翌五日以降の商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

被告は、本件預金契約は、原告との間に成立したものでなく、訴外Kが預金者であると抗争し、更に仮定抗弁として、債権の準占有者であるKに善意で昭和二九年五月六日に金一〇万円、翌五月七日に金一七〇万円を払戻したから、右支払の限度で、本件預金債務は消滅したと主張した。

原告は、Kは本件債権の準占有者ではないし、又、被告は、善意で一八〇万円を支払つたものではないし、かつ、Kに受領権限があると信じたことに過失があると抗争した。

裁判所は、次のごとく、詳細な事実の認定と判断のもとに、原告の本訴請求のほとんど全部を認容し、一部(遅延損害金の起算日の一日分)を棄却した。

理由

被告銀行鶴橋支店が昭和二十九年五月四日金百九十六万円の普通預金の預入れを受け、これに対し預金者名義を「三条勝二」とせる口座番A第一五一号の普通預金通帳を交付したことは、当事者間に争がない。

原告は、右普通預金の預金者は原告であると主張するのに対し、被告は、右普通預金の預金者は訴外Kであり、同訴外人が「三条勝二」なる架空人名義を使用したに過ぎないものであると主張するので、先づ右普通預金の預金者が何人であるかについて検討する。

証拠を総合すれば

(1)  昭和二十八九年頃は金融引締めのため金融機関による融資が窮屈になつていたので、若干の金融機関においては、いわゆる導入預金、協力預金を勧奨し、預金額の増大を計るとともに融資申込者に対して金融の便を計つていたこと。

(2)  訴外Aは、かつてB株式会社を設立して綿布商を経営し、一時相当の資産を作つたが、昭和二十五年三月頃から経営不振となり右会社をも解散しなければならなくなり、昭和二十八年頃にはその資産も倒尽して了つて無一文になつた。しかしながら同訴外人は、何か事業を始めて再起しようと考え、その事業資産金調達のため奔走していたところ、昭和二十九年三月頃その友人から訴外Kを紹介された。そこでAは右Kに対し当時考えていた養饅の事業計画を説明して二百万円程度の金融の斡旋方を依頼したこと、

(3)  当時、Kは訴外H、同F等と相謀り、金主をして銀行に預金せしめ、その預金手続の際に同人等がその届出印鑑をすり替え、金主の不知の間に銀行からその預金を引出し同人等においてこれを領得することを企てていたがKは前記の如くAと相知るに及び同人をも右計画に参加せしめることとなり、Aがその金主を探すことを担当し、K等が右計画の実行易い銀行を物色することを担当するに至つたこと、

(4)  そこで、Aは人を介して原告に対し協力預金の意味で銀行預金をすることを依頼した原告は昭和二十九年四月中旬頃訴外Mから「或る人が銀行から金を借りる話ができているが、その銀行の支店に、貸出の枠が一杯であるため貸出ができず困つているので、ここで預金が増加すればその枠もふえるので誰か預金をしてくれる人はないだろうか、若し貴方が金を持つているのであれば二百万円を三カ月間普通預金してくれんか、それは単なる預金で三カ月間だけ紳士的に出さないようにしてもらえば、御礼の意味で月三分の裏利子を出す」と相談をもちかけられたので、原告は、銀行利子以外に月三分の裏利子をもらえるのであれば、安全に遊金を利用し多くの利潤を獲得できると考え、右申出を承諾したこと、

(5)  その数月後、原告は右Mから連絡があつたので、預金すべき全員を携えMと二人で池田銀行淀屋橋支店に赴き、同所でかねて銀行から融資を受けるものと聞かされていたAを紹介された、そしてそこには、Aと共同事業をするという某の外にK等が来ていた、そして、Aが裏利子として金十八万円を交付したので、原告はこれを受領し、預金手続をしてくれというので、右池田銀行淀屋橋支店の窓口でKから印鑑届書一通を受取り、これに住所氏名を記入し、所携の丸形の原告名義の印章を押捺し、預金係の窓口に金二百万円を添えてこれを差出し預金手続を終え、その後右窓口から普通預金通帳の交付をうけて帰宅した、ところが右池田銀行淀屋橋支店においては右入金直後K等の悪事が露見しそうになつて同人等の預金引出し計画が失敗したので、同人等は右計画を変更し、右計画を遂行するに適当な銀行を物色することにした、そして、Aは、同年五月二日頃原告に対し、右池田銀行淀屋橋支店で金借の話がうまく行かないので、右銀行に対する預金の払戻しを受けて現在話を進めている他の銀行え預金してもらいたい旨申入れ、原告をして承諾せしめた、一方K等は、Fが被告銀行鶴橋支店長Nと面識があつたところから、同年五月三日頃K、H、Eの三人が同道して被告銀行鶴橋支店に至り、同支店長Nに面会を求め、FがK、Hの両名を紹介し、K等が関係している太陽物産株式会社と当座取引を開いてもらいたい旨及び翌四日預金者を連れて来てまとまつた預金をする旨の申入れをなしたこと、

(6)  同年五月四日、原告は、Aと同道して先づ池田銀行淀屋橋支店に行き、さきに同支店に預入れていた普通預金二百万円の払戻請求をしようとしたところ、Kが来てさきにAが原告に支払つた裏利子十八万円はKが立替えたものであるから預金払戻については右十八万円を残しておいてもらいたいというので、原告はこれを諒承し、同支店に対しては金百八十二万円の払戻請求をした、そして右百八十二万円は現金をもつて支払われたい旨要望したが、同支店では、その時現金で右金額を揃えることが出来ないからとて、同支店振出し同支店支払の金額百八十二万円の小切手一通を原告に交付したので原告はこれを受領した、そこで、原告はさらにAと同道して被告銀行鶴橋支店に赴き、同支店入口横にある待合席でAと待つていた、そしてその時同支店内を見廻すと、K、H等が支店長席で話をしているのを認めたので、原告は、Kが前記池田銀行淀屋橋支店においても同銀行行員の如く振舞つていたのに今また被告銀行鶴橋支店においてもカウンター内に居るので不思議に思い、Aに対し、Kが被告銀行鶴橋支店に関係があるかどうかを尋ねたところ、AはKが同支店長Nと知合いで今度の金借を同人に依頼している旨答えた、その内Aは同支店のカウンター内に呼込まれ支店長席の脇にある応接席のところに行つていたが、暫くして原告のいる待合席に帰つてきたので原告は同人に対して裏利子の支払を求めたところ、同人は一カ月分の裏利子と諸雑費とを合せ金十四万円を支払うがこれは原告がなす普通預金に一緒に入れて支払う旨述べたので、原告はこれを諒承し同人等から原告の預金の一部として同支店に預入れさせることとした、そして、原告は、Aから預金の預入をしてくれといわれたので、同支店預金係の窓口のところに行つたところ、同所にいたKが普通預金印鑑用紙を手渡したのでこれを受取り、右印鑑用紙に原告の氏名、住所をそれぞれ記載し所携の原告名義の印章を押捺して、これを同人に交付し次いで前記池田銀行淀屋橋支店振出の金額百八十二万円の小切手一通を原告自ら被告銀行鶴橋支店出納係Mに交付した、ところが、Kはこれより前、H等とともに同支店長席脇の応接席で原告とAの両名が来行するのを待つていた間に同支店長に対し後刻預金者を連れてくる旨告げていたのであるが、Aが原告を伴つて来るや、預金者名義を原告の氏名である「三条勝二」と決定して被告銀行鶴橋支店長に指図し、同支店より普通預金印鑑用紙を受取り、Kにおいて、右印鑑用紙の氏名欄に「三条勝二」その住所欄に「大阪市南区東賑町二丁目二十八番地太陽物産株式会社内」、その職業欄に「製函製紙」と記入し、その印鑑欄にかねて同人がAから預つていたA名義の印章を押捺して、原告の作成する普通預金印鑑用紙とすり替えるための虚偽の普通印鑑用紙を作成した上、前記の如く原告から原告作成の普通印鑑用紙を受取るや、これと既に用意していた右虚偽の印鑑用紙とを巧みにすり替え、同支店長席でK自身において作成した右普通預金印鑑用紙と、前記原告自ら出納係に交付した池田銀行淀屋橋支店振出しの金額百八十二万円の小切手一通の外に、Aが原告に対し支払うべき裏利子並びに諸雑費合計金十四万円を差出し、合計金百九十六万円の普通預金をする旨告げたので、同支店長Nは預金係のMをして右預金の預入手続をなさしめた、そしてその際、同支店長からKに対して冒頭記載の普通預金通帳を交付し、KはAを経て原告に右通帳を交付した、原告は右普通預金通帳の交付を受けるやその預金者名義が原告であること及びその預金額が百九十六万円であることを確認し右通帳を携帯帰宅したこと、

(7)  右預金がなされた同年五月四日に、K等が関係していた太陽物産株式会社と被告銀行鶴橋支店との間に当座取引が始められていたことが認められる。

惟うに、普通預金にあつては、記名式預金通帳が発行せられるので預金者の氏名は金融機関たる銀行に明かにされ、しかも多くの場合預金名義人と預金者とは一致するのであるが、ときに課税を免れる等の目的をもつて第三者または架空人の名義を使用する場合もあるから、必ずしも預金名義人が預金者であるとは限らない。従つて、預金者を決定するには、当該預金を自己の自由に支配し得るものとして自己の意思に応じ預入しまたは引出し得る者即ち当該預金を支配し得る法律的地位にある者として金融機関との間に明示又は黙示の了解のあつた者換言すれば金融機関がその者に支払えば当然に免責される者が何人であるかを明かにしなければならない。ただ金融機関としては、預金名義人の預金通帳と印鑑とを持参して支払を請求したものに対し善意で支払えば、その者が真の預金者でなかつた場合においても免責されるから、通常の場合預金者が何人であるかを強いて探索する必要がないであろう。そして現実に預金の預入手続をなす者と預金名義人とが異なる場合、当該預金の預金名義人が預金者であるというためには、その預金者と預金の預入手続をした者との間に代理または使者の関係がなければならず、金融機関においてこのことが認識さるべき状況になければならない。若し預金者と現実に預金の預入手続をなす者との間にそのような関係がない場合には、当該預金は名義人の預金とはいえず、あくまで現実にその預金をしたものが預金者といわなければならない。

このような見地に立つて本件の場合を見るに、右に認定した事実によれば、原告が被告銀行との間に直接右預金の預入手続の全部をなしたものと認めることはできないけれども、預金の大部分たる金百八十二万円の小切手は、直接原告より銀行の出納係に交付せられ、原告自ら預入手続の一部に関与しているのみならず原告は当日被告銀行鶴橋支店にAとともに行き、その際、AからKが被告銀行鶴橋支店長Nと知合いであつてAの金借につき尽力している旨告げられたのであるから、原告がKの立場をそのように理解し疑はなかつたことは容易に窺知しうるのであり、Aから預金するようにいわれて同支店預金係の窓口へ行き、同所に来ていたKから普通預金印鑑用紙を受取り、これに住所氏名を記入し所携の原告名義の印章を押捺して同人に交付し、前記金百八十二万円とは別に金十四万円はA等から直接被告銀行鶴橋支店に入金せしめることとし、金百九十六万円の普通預金をすることにしたのである。そして原告が被告銀行行員にあらざるKに原告自ら作成した印鑑用紙を交付して預金手続の一部を同人が取運ぶことを容認し、またAが原告に支払うべき裏利子等十四万円を同人から直接被告銀行に入金し預金の一部となさしめることを許容したことに徴せば原告はK及びAに対し原告を代理して原告のために右預金の預入手続の大部をなさしめたものと認めるのが相当である。尤も右代理行為は忠実になされておらず印鑑用紙はすりかえられているけれども「三条勝二」名義の預金手続をなす点においては原告の意思に沿うものであり一部住所職業の記載や印鑑においては原告の意思と異るものであるからとてそれが全面的に代理行為たる性質を失うものではない。そして、被告銀行鶴橋支店においても、右預金をなされる前日及びその当日はK等から別に金主が来てまとまつた預金をすることを告げられておりその預金名義人として、K等とは別の原告の氏名である「三条勝二」なる名義人を指定されたことに徴すれば、その預入手続に際し住所、職業、印鑑が原告のものとは異なるK作成の虚偽の普通印鑑用紙が提出されたとはいえ、また「三条勝二」が、実在者たる原告の氏名なるかどうかの的確なる認識を、被告に期待し難い事実関係にあるとはいえ、少くとも右預金手続の大部をなしたK以外に実在者たる預金者がおり、Kがその代理人若しくは使者として預金手続をなすものであることを認識しまたは認識し得べき状況にあつたことが看取できる。従つて被告銀行においても、Kは預金名義人たる「三条勝二」なる名称(実名か別名であるかは免も角として)で呼ばれる実在者(客観的にはそれが原告)の代理人若しくは使者として預金手続をなすものであることを了知していたと認めるのが相当である。しかも、右預金の証拠たる前記普通預金通帳は、預金手続をなしたその日から引続き原告が所持していることは、右認定事実と弁論の全趣旨に照し明白であつて、原告こそ右預金の権利者たる地位を証明し得る有力なる証拠物を所持しているのである。然らば、右諸点を考量するとき、本件預金については、主としてKが原告の代理人となつて被告銀行鶴橋支店との間に預金手続をなしたものというべく、本件預金の預金者は原告であることには相違なく、被告において具体的に原告を認識していなくともそれは通常預金者が何人たるかを強いて探索する必要でない結果、そうであるにすぎないと認めるのが相当である。

蓋し衆知の通り預金払戻請求においては通帳と届出印鑑を提出しなければこれを払戻すことは出来ないのであるから訴外Aが本件届出印鑑の印顆を所有し訴外Kが右印章を保管しているからとて直に右両者のいづれかが本件預金を支配しこれを引出し得るものであるということをえないこと勿論であるとともに、他面原告も亦通帳を所持しても印顆を持たないから本件預金を引出すことを得ず本件預金を支配しないことにおいては右の者等と選ぶところがないようである。従つて預金引出手続に不可欠の通帳と印顆の両者が所属を異にする本件のような特殊な事案においては、その両者のいずれかの所属者を預金者と認定するについては、その所属物件が通帳であるか印顆であるかに決定的要因があるのでなく、当該預入手続のなされた時の所般の事情から本件預金の真の支配者と法律上認められるものを探索せねばならぬのであり、前記認定事実から推すときはすり替え後の届出印鑑の印顆の所有者にしてそれを提供したことと、金主たる原告に本件預入を奨め当日原告を被告銀行鶴橋支店に同道したことにより本件詐欺罪に共同加功したにすぎない訴外A、本件詐欺罪の主犯者として前認定のような手口を考案実行に移したが、そのなした預入に関する行為は刑事的に詐欺の実行行為であつても民事的にはなお原告の預入行為を代理した行為と認めるの外ない訴外Kは、いずれもこれ等の者を本件預金者と認めるのは適当でなく、他にも原告以外に本件の全証拠を通じ本件預金者と認定するに適する者なく、却つて本件預金中大部分の出捐者であり、現実に被告銀行鶴橋支店行員に預入のため交付した者であり、自己名義の本件通帳の所持者である原告こそ法律上本件預金を支配し被告の原告に対する支払は当然の免責を生ずるに最も適した地位にあるもの即ち本件預金者というべきである(成立に争のない乙第十一号証の一、二第十二号証によれば本件の公訴事実や刑事第一審判決の罪となるべき事実は、原告が前記小切手を被告銀行鶴橋支店行員に交付したことにより詐欺罪は既遂となつたものと認定しており右は少くとも原告と被告銀行間の預金契約の成立を肯定する本判決の認定とは相容れないものを含むといわざるをえないが右刑事判決における犯罪事実の認定が、本件民事事件における右預金債権の成否ないし帰属について拘束力を有するものではないから、当裁判所は本訴における各証拠を検討して前記事実を認定し前述のとおり判断したものである)。

ところで、本件預金の預入れについては、被告銀行鶴橋支店に対して池田銀行淀屋橋支店が自己宛に振出した金額百八十二万円と現金十四万円とが交付されてなされたものである。預金契約は銀行を受寄者とする金銭の消費寄託であるから、該契約が成立するためには、金銭または金銭と同視すべきものの授受がなされなければならない。従つて日本銀行支払の政府振出の小切手、銀行の自行宛小切手の交付等経済上金銭の授受と同一視すべき場合は、右交付をもつて預金契約が成立すると解すべきである。よつて原告と被告銀行との間の本件預金契約は、昭和二十九年五月四日前記のとおり池田銀行淀屋橋支店が自己宛に振出した全額百八十二万円の小切手一通を原告が被告銀行鶴橋支店行員に交付し外に現金十四万円をKが原告名義預金の一部として、被告銀行鶴橋支店に交付したとき、その合計額百九十六万円につき直ちに成立したものというべきである。

そこで進んで被告の抗弁の当否について判断をする。

証拠を総合すれば、K等は原告不知の間にKが所持している届出印鑑のみを持つて当初計画したとおり被告銀行から本件預金を引出し自己においてこれを領得しようと企て、昭和二十九年五月六日K、H、Fの三名は被告銀行鶴橋支店に赴き、本件預金の通帳を所持している者が旅行していて通帳を持参提出することはできないが緊急に金員が必要になつたから便宜届出印鑑のみによつて預金の払戻しをしてもらいたい旨同支店長Nに申入れたこと、右支店長Nは、これに対し、預金の払戻請求には預金通帳と届出印鑑とをともに持参提出した場合でなければ応じ得ないことを述べて、Kの要求を拒絶したこと、しかしK等三名は二時間にわたる長い間便宜本件預金の払戻を要求し続け、遂に荒々しい剣幕になつて執拗に預金の払戻しを求めるに至つたので、同支店長Nはやむなく同人等の要求に応じ便宜預金の払戻をなすことに決し、Kから三条勝二名義で「拙者普通預金より通帳持参なき場合と雖も便宜御支払御願い申上げます。万一之が為事故生じました節は拙者に於て一切引受け貴行に御迷惑相掛けません」との記載文言の念書を差入れることを条件に、本件預金のうちから金十万円を払戻し、これを同人の指示により前記太陽物産株式会社の当座取引の口座に振替えたこと、そして、翌五月七日K等三名は再び被告銀行鶴橋支店に赴き前日同様に預金の便宜払戻しを要求しその際前記条件とされていた念書を差入れたこと、そのとき恰度N支店長は不在であつたので同支店の支店長代理Yが応待したが、同人は前日支店長が便宜扱をしてその払戻請求に応じたことを聞いていたので便宜扱をするのもやむを得ないと考え、Kの百七十万円の払戻請求に応ずることとし、前同様これを太陽物産株式会社の当座取引の口座に振替えたことが認められる。

被告はKが本件預金名義人たる「三条勝二」の機関として本件預金の払戻請求をなし、被告銀行はこれに対し本件預金のうち金百八十万円を払戻したから、右支払の限度において本件預金債務は消滅したと主張するけれども、本件預金はKが「三条勝二」なる架空人名義を使用してなしたものではなく、本件預金の預金者は原告であることは前段認定のとおりであり、Kが、本件預金者名義人たる三条勝二即ち原告の機関として払戻請求をなし得るためには、原告から本件預金払戻請求について代理権授与されるとかまたはその使者としての権限を与えられていなければならぬところ、そのような事実を認めるに足る証拠は存しないから、Kが本件預金払戻請求を原告の機関としてなしたものとの被告の抗弁事実は認め得ない。従つて被告の右抗弁は理由がないといわなければならない。

次に、被告は、Kは本件預金債権の準占有者であり、被告銀行は善意で同人に本件預金のうち金百八十万円を支払つたから、右弁済は有効でありその限度で本件預金債務は消滅していると主張するので判断する。債権の準占有者とは、自己のためにする意思で債権を行使する者であつて、一般取引の通念で債権者であると信じさせうる事由に基づいて債権を利用する者をいうのである。従つて、預金名義人の預金通帳と印鑑を持参し預金の払戻しを請求する者は債権の準占有者に該当すること勿論である。しかしながら、既に認定した事実によれば、Kは預金の払戻しを請求するに際しては届出印鑑のみを持参していたに過ぎず、しかも証拠物たる通帳を持参出来ない理由を述べているけれども、その理由が首肯しうるものといい難く、同人が本件預金の預入手続の大部をなしたものである点を考慮するとしても、その時の経緯が前段認定の如く他に真の預金者がありKがその代理人または使者なることを銀行は知つていたものまたは知るべかりしものであつたのであるから、Kが本件預金の払戻請求をしたからとて、同人を一般取引上の通念で本件預金の預金者であると信じさせるような外観を有する者とは到底認め得ない。さきに認定したように、被告銀行鶴橋支店長NがKの預金払戻請求を拒絶し延々二時間もの間折衝したことに徴すれば、同支店長が右Kを本件預金の預金者であると信じられなかつたものであることを推認し得る。従つて、Kが本件預金債権の準占有者であつたこと及び被告銀行が善意で支払つたことは二つとも到底認め難いから、被告銀行が右に認定したように二回にわたり合計金百八十万円の支払をなしていても、それが本件預金債務の有効なる弁済とならないことは多言を要しない。よつて、被告の右抗弁も爾余の争点の判断をなすまでもなく理由がないものといわなければならない。

しかして、原告が昭和二十九年十月五日被告銀行鶴橋支店に赴き本件預金の通帳を持参提出して預金の払戻請求をしたことは、当事者間に争がなく原告本人尋問の結果によれば、その際原告は同支店預金係Mから原告が普通預金払戻用紙に押捺している印鑑が届出印鑑と相異るとの理由で払戻請求を拒絶されたことが認められる。甲第一号証によれば、被告銀行の普通預金規定には、預金の払戻請求は通帳の提出と届出印鑑とをもつてなすことが取極められているから、通帳を持参提出しない場合とか届出印鑑によらない場合には、その払戻請求を拒絶しても被告銀行に遅滞の責があるとは通常の場合考えられないところである。しかしながら、本件の場合は、被告銀行がKに対し便宜扱として通帳の提出なくして百八十万円を支払つてから、右支払の旨を通帳に記入すべく屡々K等に交渉したが、同人等はこれに応ぜずその場限りの口実を弄していたので、被告銀行としてもこの点苦慮していたことが、証拠により窺知できるし、原告が本件預金の払戻請求をなすに至つた頃には、被告銀行においてもK等の行動につき不審の念を抱いていたであろうことは、これを推測するに難くはない。右の如き事情の存する本件にあつては預金名義人である原告が本件預金通帳を提出して預金の払戻請求をしているのであるから、被告銀行としては慎重に調査判断をすれば、本件預金の預入手続の際にK等が普通預金印鑑用紙をすり替え虚偽の印鑑の届出をしたことを発見し得た筈である。さすれば、原告をして改印の手続をとらしめる等処置して、真の預金者である原告に本件預金の払戻ができた筈である。然るに、被告銀行はかかる調査判断もなさず漫然届出印鑑と相異することを理由に拒絶したものであつて、被告銀行の能度は信義誠実の原則に反する点が尠くない。然らば、被告銀行の原告に対する払戻請求の拒絶は、理由ある場合と認め難いから、被告銀行としては原告の右預金払戻請求の日の翌日以降遅滞の責を負わなければならないものというべきである。

そして、本件普通預金の約定利息が金百円につき一日金六厘の割合であるとの原告主張事実は被告が明かに争うものとは認められないから、被告においてこれを自白したものとみなす。果して然らば、被告は原告に対して、本件普通預金百九十六万円及びこれに対する預入れの日の翌日である昭和二十九年五月五日以降右払戻請求の前日である同年十月四日まで金百円につき一日金六厘の割合による約定利息並びに被告は銀行業を営む株式会社であるから右払戻請求をなした同年十月五日の翌日たる同月六日以降右完済に至るまで商事法定利率六分の割合による遅延損害金を支払う義務があるといわなければならない。

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